餅屋は八百屋。そんなお仕事

餅屋は餅屋という言葉がある。(餅は餅屋 の方が通例だが)

何事においても、それぞれの専門家に任せるのが一番だ という意味である。

 

この言葉を、とある企業の方はよく使う。

マーケティングのサービスをされているので、餅屋にはおいしい餅を作って欲しいとのことで。

それ自体を否定するつもりはないが、餅屋は八百屋という話をしたい。

 

僕もこれまでいくつかの職場で仕事をさせてもらったことがあるが、その中で働く際に考えることは「この業務の意味合いから、どのようにすれば上手くいくか」ということである。

例えば、営業の仕事だとしたら「どんな顧客に買ってもらいたいか」「顧客は何を課題に感じているか」「一日で5件の商談をするにはどういうルートで回るのが効率的か」など。

 

だけど、今来ているインターンは先で働く人はそれ以外の側面を持っている。

一言で言えば、人脈やアライアンスを上手く使っている。

「ここの企業とこんな風に出来たら、こう進むかも」と自分たちが仕事を進めることがある。

社長のお仕事ってそんなものなのかなぁと、他の職場で思ったこともあったが、社員でもそんな風に動いている。

 

これは、今自分が出来る以上の仕事をすることにつながる。また、多くの物事を知ることにもつながってくる。

そんな風に考えると、餅屋と思っていたのに、八百屋として働くことが出来る。

もちろんそんな関係の前提には、「自分が出来ること」というのがあってこそなのだが。

 

今の自分は、出来ることでしか仕事をしようとしないし、関係構築が得意でないのです。だからこそ、今の自分に必要な力であるなと思いました。

(うっすい文章。。。)

 

痒いところに手は届かない。

放置しすぎて、広告が出てくるようになってしまいましたが、どうしても暇になったので最近考えていることを。

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「届きそうで、届かないもの」

それが人に無意識の共感を起こしているような気がします。

 

もちろん、それは昔からブランドとして存在していたと思います。

「いつかはクラウン」みたいに。

しかし、その対象はモノよりも人、ひいては生き方に目が向いていると思います。

 

僕が思うその筆頭は「テラスハウス」です。

https://news.mynavi.jp/article/20140116-th/

この記事によるとコンセプトは「どこにでもいそうだけど、"手の届かない"男女6人」だとか。

 

実際に考えると、「夢に向かっている」という共通点で人が集まることは多くないはずです。ビジネスに関わるような人たちや、創作活動をしようとしている人たちが集まるシェアハウスならいくつかあるでしょうけど、「夢に向かっている」程度の共通点ではおそらく学びに欠けると思います。(僕が偏狭なだけですかね)

 

ある程度の美男美女を集めて作られた世界であるはずなのに、日常的で「ありそう」だと思わせられる。

「そんなに毎度風変わりで小綺麗な料理ばっかり作ってられるかい」と思ったりもするのですが、むしろそれが憧れになる。

 

これはフィクションに親しみすぎた僕らが、多少の現実味が現れるだけでフィクションをやすやすと受け入れてしまうようになっているのではないかと思います。

あるいは、自分たちとフィクションの距離感に居心地が悪く感じているのかもしれません。

 

なんにせよ、人は「作られた現実」に強く共感を示しているのだと思います。

 

それを強めているのはSNSの存在ではないでしょうか。

有名人の営為を身近に感じさせてくれるTwitterや、一般人でも一躍有名人として僕らを楽しませてくれるYoutuber、そして日常があまりに綺麗に切り取られたInstagram

 

そんな「作られた現実」に慣れてしまい、その世界に入り込む。

日常は憂きものとして時間が経つことだけを望んで過ごす。

その事実に気付かないならまだしも、気付いてしまってもそれを丸め込んでしまう。

あるいは「作られた現実」に対する批判者として現実逃避をする。

 

そんな風に生きている人も少なくないんじゃないでしょうか。

SNSを眺めるのは楽しいですし、友達が今何を考えているか知れることや、いつだって自分の思ったことを吐き出せる場所があること、そしてそれに返事が返ってくることは居心地が良い場に思えます。

 

しかし、SNSを距離が遠いから使うのではなく、距離が遠い「のに」使うものとしてしまうと、人との関係や現実を遠ざけ続けるものへと変わってしまうのではないでしょうか。

 

寂しいのに、話したいのに、近づきたいのに、SNSがあるから触れることが出来る。

それが「作られた現実」であればなお、自分の憧れとは遠ざかっていく。

 

遠ざかるからこそ、もっと近づきたくなって、「作られた現実」に共感を増す。

そして「作られた現実」は、インターネットを媒介にいつだって触れられて、そして更新速度がものを言う世界で。どんどん離れていく。

 

もちろん、その「作られた現実」の裏には製作者の努力の現実があります。

そしてまた、その「作られた現実」に向かって努力し、自分の現実を作っていく人もいます。努力している人は「届きそうで、届かない」人になっていくのでしょう。

 

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なんだか自己啓発ったらしいし、ある程度言われてきたことの焼き増しな気もしますが、自分への戒めとして書きました。

 

自分の道を決めあぐねたり、今に必死になれていなかったり、そんなことに悶々としていることも多く何かの気付きになるかなとじっくり考えてみたのですが、やっぱり頑張るしかないっすね。

 

じっくりとこの春休みを使っていきます。

自己紹介をしよう

生活リズムの乱れから、中々寝れず、気づけばもう朝。

タイピングもなかなか定まらず、生産性が悪い、朝5時。

学校も空いてない、松屋もマックも遠い。

しゃあねえ、久々にブログ書くか みたいな感じで書き進める。

 

結構前に、就活の面談をした。

結果は当然、、、とか言いたいけどバリバリに滑りました。

 

まぁ、考えもまとまってなかったので、当然。

就活生としてはあるまじきスタンス。

丸まって身動きの取れないアルマジロみたいなもの。

あるまじきアルマジロスタンス(言いたかっただけ)

 

こんな数個の質問で俺の人生の何が分かるんだ!

と憤慨と憂鬱を繰り返して数ヶ月、そうは言っても仕方ない。

自分の人生を、短い言葉で語れるようにしようと思いました。

 

というわけで自己紹介しよう ってことです。

ぶっちゃけただの自己内省なのであまり読む必要もないですが。

(書き終えてから言うと、全く読む意味ない)

 

自分の人生で大きなターニングポイントは、学生団体に入ったこと。

その時から面接ってあんまり伝えられてない感。

何がこのギャップを産んだんだろう。

ってことをもとにどう自分を語るべきか考えたい。

(書き終えてから言うと、全く考えてない)

 

まず小さい頃からの自分は頑張り屋さんだった。

結構親から怒られて頑張らされてきたので、ナニクソ根性だったりするのですが。

サッカーもしていく中で、気力と体力みたいなものが培われてたのでしょうな。

 

それで意外と先輩や同期のスネをかじって全国行ったりもしました。

自分は一切活躍してねーケド。

まぁそんな環境で頑張ってきたりもしました。

逆に言うと、そこの主力になれなかったから語れないんすよね、コレ。

今から考えたら、もっと考えて頑張るべきだったよなぁ。

こういう結果志向の無さも自分っぽい。

 

さてさて、お次は高校受験。

こちらは1年間でいい結果を残したのではないでしょうか。

ガリ勉くんじゃないけど、1年間で国公立に入学。

一日15時間くらい勉強してたんじゃないでしょうかね。

今思えばはじめて自分で考える ってことを覚えはじめました。

自分一人で戦う初めての経験だったからでしょうね。

 

そういえば余談で、一人で戦ってたのはこの時だけじゃなくて、

幼少期の空手も個人種目でした。(小さすぎて、何の意識も無くやってたけど)

市で2位だと思ってたけど、実は県で2位だった。

やったね、語れる経験がありました🙄

 

そこから学生団体で活動していきました。

結構、実力も無いのに色んな機会に手を上げていきました。

理由は、周りに負けるのが悔しかったから かなと思いますが。

 

意外と自分の中でこれは大きな軸ですね。

素敵だと思って大事にしている訳じゃないんですが、

何かしらのタイミングで出てくる。

自分らしからぬ決断をしている時は、コレが多いですね。

代表選挙とか、一年生のリーダー枠とか。

 

色んなチームのリーダーをしてきましたが、

その中で自分は何を大事にしてたかな と思うと、

独創的なアイデアを出すことだったりするのかなと思います。

もっと根底にある大切にしてきたものは、仲間だったりしますが。

でもどこか冷たい側面もあって、声を大にはできませぬ。

 

うーん、考えれば考えるほど、多面的でなかなか難しいなと書きながら思います。

 

ただ、あえてまとめ上げるなら、

「仲間と熱中して、その中で独自のセンスを醸したいヤツ」

みたいなのが自分なのかなと思いました。

 

だからチーム作りとかは力を入れていたし、今も組織領域を担ってる。

部活も活動も仲間が居るから頑張れたし、楽しかった。

物事の動機も恩義とかが多い。やっぱり形成には部活動が大きそう。

あとは承認欲求みたいなのも強いんだろうな。

 

あとは負けず嫌いなところが良く出る。

「こんな頑張ってんのにおかしいじゃん」とかダサいけどいつも思うし、

そういうのが無くなるような事業に興味がある。

 

独創性 みたいなことを大事にしているのって、

結構根底は末っ子の気質だと思うんですよね。

まぁまぁ世渡りが出来て、家族を和ませてきた みたいな。

教室も、チームも、そんな感じで噛みごたえのある笑いを作るのが好きだった。

 

負けず嫌いとかも、自分の価値を下げたくない みたいなところから来てる。

独創的であるかどうかは別として、自分の序列は常に上にしたい

みたいなところはある。

 

いやー、ものっそい承認欲求だ。

あとは、ただ褒められれば良いってもんじゃなくて、

自分で納得してないと褒められたくない ってのもある。

ある種の圧倒的自己中。コレが末っ子クオリティ。

 

あと悲観的だな、基本。

なんか小学1年生の頃の一時期は一切笑わなかったし、小学生くらいから何回か死にたいなと軽く思ってた。

中学生の頃も、頑張ることは終わりのない登山で、下見たらゆっくり休憩してるやつがいっぱい居るし、遠くから見た山は汚いし とか思ってた。

大学に入って、「仙人」ってあだ名もついた。(これは結構気に入ってる)

あんまそうって思ってなかったけどやっぱりちょっと芸術家気質なんかもな。

 

つらつら考えたけど、面接って

「お前は何が出来るの?」って聞かれること多いからちょっと違うかも。

 

やっぱりプロセス志向だから、結果志向が強い面接のフレームが合わないんだな。

面接は面接用で用意しよう。

 

こんな生産性の無い記事でも見てくれる人がいたら感謝ですな。

 

一旦、現場からは以上です。

もう一度やりなおせるなら

ずっと心の中にひっかかることがあった。

 

「この一年をやり直すなら、どうしますか?」

 

一年間、色々なことがあったと思う。それももう思い出せないほどに。

自分にとっては大きな責任を背負った一年間だったし、それだけに踏みしめた足跡を見返すのが怖くなる。

 

もっともっといい一年にしたかった。

もっと結果を残したかったし、もっとメンバーに向き合いたかったし、もっと楽しかったと言わせたかった。

いや、これまでやってこなかったことは事実であり、本当はしたくなかったのかもしれない。

ただ後悔をしてないといえば嘘になる。出来なかった失敗というよりは、やらなかった後悔だなと。

 

リーダーが自分の過去を否定することは仲間と歩んだこの時間を否定することだとも分かっているが、僕じゃない誰かが前へと進んでくれるならこの一年を否定したっていいだろうと少し卑屈にも思う。

 

なによりこの複雑に絡まった感情をほどかないと、みんなの前で笑えなさそうで、冷静に見つめなおしてみたいと感じているのだ。

 

大きく3つについて伝えようと思う。

「信念」リーダーとして常に重要な想いに対すること。

「考え方」場面場面でより良い選択肢を取るための視点の転換になるようなこと。

「組織運営」その他の組織を運営していく中でこうすればよかったなと感じたこと。 (これは組織によりけりな気がする)

 

自分の中で当たり前化しているような、無意識のようなものに関しては自分でも言及することが出来ていない。

もっと重要なことを見落としているのかもしれないし、そういった無意識に関しても文章にできるくらいに言語化することで、より多くの人が同じ轍を踏まぬようなことが出来ればと思う。

 
<信念>

・諦めないこと

これこそが成功の根本要因である。

バカな話をと思うかもしれないが、諦めた人に成功する人はいない。

諦めないために大事だと思うことが、「盲信」「確信」「自信」である。

まずはとにかく信じてみること。根拠が無くても感覚を信じる。

そしてやっていく中で、これには価値があるんだと自分の中で腑に落ちるまでやってみること。

身体知を身につけるのが早い。(これに関しては田端さんの良記事がある→)

そして、やっていく中で自分なら出来るというか感覚や、自分がやらなければならないという感覚を作っていくのだ。

とはいえ、自分が出来なかったからこそここに書いてあるのだが。

 

・想いを磨き続けること

これは上記に書いてある想いや目標を下げない、止めないということに加えて、想いや目標を高め続けるということだ。

リーダーが口にする言葉には組織を変える力がある。それは悪い方にも良い方も。

だからこそ、常に想いを高めないと組織は成長していかないし、日々思い返していつだってみんなの目線を高められるような言葉をかけられるように努めるべきである。

 

・原則に従って、弛まないこと

これは、想いや目標の実現を阻むような行動をしないということだ。

リーダーは幾分かわがままになる。人を巻き込むってことはそういうことであるだろう。

だから、その瞬間では迷惑や負担がかかってしまっているような瞬間がある。もしくは、チームのモラルが低くなってしまいそうな瞬間がある。

しかし、そういったメンバーの負担などに対して自分がへり下る必要はないし、優しく許す必要もない。

一時的な優しさは、長い目で見たときに間の抜けた時間だったと感じさせる原因になる。

絶対に守らなければいけないような防衛線を張り、そこに対しては厳格であるべきだ。

 

<考え方>
ここからは箇条書きとなる。

・考えは一度じゃ伝わらない、けどみんな反論もない。伝え続ければ変わる。

・思考と悩み、客観と悲観は別で、後者の方を取りまくってると何も変えられないまま時間が過ぎ去ってく。行動的なポジティブであろう。(楽観的ではなく)

・意外ともらってたつもりが与えることとかもあるのでどんどん誘ってみるべき(だけど逆も然り)

・もっと先輩頼るべきだった、ちょっと厚かましくても「なんでそうなるんですか」「それってどうやって考えたら良いんですか」って聞きまくれば良かった。背景分からないこと多いけど、遠慮することなく得られるものはなるべく吸収した方がいい。

・体調とメンタルには気をつけよう。結構蝕む。ベストパフォーマンスを発揮できてこそリーダー。

・愚痴を言える場を作ろう。愚痴を言っても信頼してくれる人たちには伝えても大丈夫だし、課題点にも気づいてくれる。

・自分を下げるんじゃなくて、人に求めよう。

・朗らかであろう、リーダーが楽しくしてたらみんなも楽しいし、遊べる関係だって作れる。そしていつだって相談しやすいように。

・人の良いところは褒めまくろう。褒めて困ることない。人にとって強みは無意識の部分だったりするからこそ、感じた瞬間に伝えまくれば、その強みがその人にとっても確信になっていく。

 
<組織運営>

・意思決定のミーティングはそんなにいらない。思考の深堀りはオンラインや、個別の対話で広げていくほうがいいことも多い。集まる時間は思想の共有や育成に充てられる。

・部署や役割に関係なく優秀なリソースは巻き込む。

・一緒に作業をする機会を週1で開く。インフォーマルな組織の中で創発や学びをどれくらい生み出せるか。

・大きな仕事振った人に対してはシビアに見る。信頼してても最初方向性が明確になるまではしつこく話し合って擦り合わせる。

・組織状態は週次で毎回不満やモチベ、アクションなどを回収して、遠くからでもなるべく見れるように組織づくりする。

・重要な機会はを下部チームであるプロジェクトのミーティングをマイルストーンにして浸透させる。全部が全体プレゼンでは伝わらないし。伝えるだけじゃなくて一緒に考えてもらうなども良い。

・自分のチーム以外の人間関係の問題の解消は難しい、結構リーダーによるし、それ以上にチームの人たちによる変数が大きい。チーム内の状態の把握をして、月ごとに話し合う必要はありそう。あとは緩みとなるような遊びの機会を作ったりするのもいいかもしれない。

・打ち手はやっぱりみんなで話したほうが面白い&納得感たかまる

・方針や革新の無いプランは無駄、だけど実行過程の粒度が低いプランも意味ない

・人と会うことを心がける。元気になれたり、何かが進んだり、見過ごしてたような思わぬ問に出会える。

 

大事だったと思うことを振り返るとたくさんある。

だけど、こんなにも多くのことは意識することは出来ない。

序文の方で当たり前と思ってる無意識になっているようなことを明確にしたいと言ったが、その逆でこういったことを一つ一つ無意識に落とし込んでいくことでしか成長はしていけないと思う。

 

今新しいことに向かう自分に対しても刺さることばっかりで、同じような過ちを起こさないように意識し続けようと思う。

ここから何かを学び取ってもらえれば幸いです。

「自分らしく生きる」ことのワナ~下流社会~

新年明けましておめでとうございます。

今年の抱負も定めることもなく記事を投稿して参りたいと思います。

年末年始と言えば帰省。最初は会えないかと思っていたものの無事友達と遊ぶことが出来てほくほくしております。

 

さて、自分の地元は奈良になるのですが、その奈良の公立小中学校の友達と、中堅私立高校の友達と会って話すことが出来ました。

大学3年生と言えば、進路を考えたり、短大生は既に働き始めている時期になります。

そういうこともあってみんなの人生観などにも触れることが出来ました。

 

また、自分は末っ子の三男坊で家庭の中ではリッチにのびのび育ててもらったのですが、多少規律正しく育てられた兄や、勝手に堅実に学び続けた姉が居るのでそういった生き方の違いも感じながら帰ってくることが出来ました。

 

そういったところから、相対化して自分を見ることが出来た上で2005年出版の『下流社会 新たな階層集団の出現』という本を読んだので、現代の若者や家庭,地域の環境が生む影響について考えることが出来ればと思い文章にしました。

 

そもそも下流社会とは

かつて日本は一億総中流社会と呼ばれていました。

高度経済成長期に、大量消費の価値観を持って家電や自家用車などをほぼ全ての人々が持っていたため、ほとんどの家庭が中流家庭と同じような生き方をしていたことを指します。

しかし、2005年現代でも所得の不平等さを測る指標であるジニ係数は高く、アメリカやイギリスのように格差が広がっている社会だと言えるのです。

 

かつては年齢が上がるごとに給料が上がっていき、社会的にも豊かになるので自分もその波に乗って憧れだった家電などを購買し、そしてまた仕事を頑張ろうと考えることが出来ました。

しかし、現代は誰もが安価でテレビやPC、スマホなど最低限の物品は買うことが出来ます。だから物質的に豊かな暮らしをすることに強い動機が働かない。そこに不景気や人口減少も重なるのだからなおさらのことでしょう。

そのため人々は高収入を得て、たくさんものを買おうという価値観が薄れ、むしろ低い年収でも自分らしく生きていたいという気風が森永卓郎著の『年収300万円時代を生き抜く経済学』などからも窺われます。

 

こういった下流の人々は簡潔に言うと向上心や計画性が無く、怠惰です。

若者の中でも「パラサイト・シングル」と呼ばれる人たちが増え、彼らの生活は自由気ままで安定しているでしょうが、数十年後の彼らの暮らしは果たして良いものになっているのでしょうか。

 

社会の分断化について

このように簡単に言うと社会は向上心があるか、ないかで格差が広がっていると言うのです。そこには個人的な特性のみならず、家庭環境や教育機会、地域差などが大きく関わります。こういったものは流動性が低く固定化しやすいです。

 

まず、大きな変化の一つとして女性の社会進出があります

今までは女性が類として差別を受けている傾向にありましたが、徐々にそういったことは減っていき、一人一人の女性がどのような志向があるか でレイヤーが分かれてきたと言うのです。

それは、自由に生きることができると言えますが、自己責任社会であるとも言えます。

 

ここからは女性がどのように分けられるか簡単に紹介します。(マトリクスとしては、向上志向↔︎現状維持志向、職業志向↔︎専業主婦志向)

・ミリオネーゼ…自分磨きに余念がなく、高収入を得て、家庭も充実させようという志向の強い。(向上×職業)

・お嫁系…容姿、知性、性格など女性としての武器を使って玉の輿を狙う。(向上×専業主婦)

・ギャル系…将来予測性が低く、早婚や子持ち志向の強い人たち。(現状維持×専業主婦)

・かまやつ系…手に職つけて自分らしく働きたいと考える。(現状維持×職業)

・普通のOL…このどれもに当てはめるのが難しい曖昧な状態にある。

 

これが指すのは、エネルギーのあるミリオネーゼは社会的には成功する傾向があり、お嫁系は女性としての戦いに身を投じなけれいけず、かまやつ系も失敗してフリーター止まりになる人も少なくないということ。そしてこのどれもにハッキリしない普通のOLが選択肢に迷い、時期を逃すことも。

このように、女性がそれぞれの生き方を選ぶことは出来ますが、はたしてそれが成功に繋がるのかというとそうでもない。

 

次に男性の類型の紹介をします。(向上志向↔︎現状志向、仕事志向↔︎趣味志向)

・ヤングエクゼクティブ…高学歴でエネルギッシュで、消費的な価値観を持つ(向上×趣味)

ロハス系…比較的高学歴だが出世志向が弱い、文化や教養を重んじる。(弱向上×趣味)

SPA!系…特に勤勉ではないが、やらなければならないので仕事をする。趣味志向も強いが、アニメ、アダルト、格闘技など少しサブカル的。(現状×弱仕事)

・フリーター系…稼ぎは少なく衣食住にお金は書けないが、自分の趣味にだけ集中投下する。(現状×趣味)

 

男性では数少ないヤングエクゼクティブ系のみが強い向上心を持ち、高所得を目指していますが、その他の類型は強く仕事熱心だとは言えません。

ボランティアや自分らしい生き方が増えている現代を示しているなと思います。

 

地元での話

まずは奈良の公立中高の人たちと話しましたが、安定志向が強かったように思います。

安定=高収入 ではなくて、残業が少なく休みがちゃんとある ってイメージでした。

また、それに加えて「良い職場であること」が重要視されていました。仕事のやりがいというよりは、コミュニティとしての安心感を重視しているように思いました。

これは、奈良という地方に留まった人たちの価値観ではあるかなとも思います。

 

また、高校の頃の友達とも話しました。全国にも行くようなサッカー部に居たので、話た人はある程度向上心が強いです。

その人は大手企業に入ることを比較的重要としていました。安定だけのためではなくて、出世を前提に働きがいなども求めた上ででしたが。

個人としての価値観も関係していましたが、父が証券会社勤務で上場企業の情報に詳しいことも関係があるように思えます。

 

そして実家の長男の暮らしぶりに対しても思うところもあります。

男性の類型として言えば、フリーター系に入るのかなと思います。兄に「もっと積極的に働け!」というのが彼にとって良いものか というのは思いますが、今の暮らし向きに長期性は見えなかったりするのです。

自分らしく生きることが本当に良いのか ってところに関しては長男を見て強く思います。

 

自分はどう?

ちなみに自分はヤングエクゼクティブとロハス系の間くらいに居るなと思います。

結局それは大学で過ごしているコミュニティがそういった傾向があるからであって、違うコミュニティに属していたら異なる考え方をしていたんだろうなと思います。

 

こんな自分になっているのはいくつかのポイントがあると思っています。

①親からのびのび育ててもらい、機会に恵まれた(親の収入増と教育方針の変更)

②兄姉や近所の人から多くを学び教育効率が高かった

③サッカーに熱量を注いで、良いコミュニティに中高と所属した

④その熱量を勉強に費やして国公立大学に合格した

⑤その熱量を持ったコミュニティを選び、利他精神や上昇志向、教養などを得た

ということがあって、今の自分が居ます。

 

格差社会は是なのだろうか

さて、上までであまり論理だって説明することは出来ませんでしたが、「自分らしく生きる」ことを単純に是とするのは格差社会を認めること でもあると思います。

 

もちろんその固定性が高いことには問題があるように思いますが、自分は「格差はあるべきだ」と考えています。

自分の価値観に「努力した人が報われるべき」というものがあり、結果の平等よりも機会の平等を重視したいと考えるからです。

そしてまた、安定志向の人間が一定数いることも踏まえて、格差は生まれるものだと考えました。

 

その上で、社会の流動性を持たせるために出来ることはこういったことかと考えています。

・ローコストの知識教育(インターネット講座など)

・教育者教育機会の増加(家庭教育を中心に据えているが、その他教育も含む。)

ノブレス・オブリージュを実現するコミュニティ(インセンティブがないのに義務ってのは厳しいが、金銭じゃない価値を生み出せれば成り立つ。)

あたりかなと考えています。

 

個人的にはやはりサッカーで育ったところも大きく、地域のスポーツクラブに可能性を感じたりしています。

上昇志向の人々の教育を元手に、ボランティアで人間観の教育をする みたいな生き方も一つの理想だなと感じます。

これからの社会ではアッパークラスにハイブランドな商品を売っていくことが重要になってくるはずですから。

中指を立てて生きる

お久しぶりです。

年の最後に何かを書こうと思い、記事を書くことにしました。

きっと多くの人は、「この一年間何があっただろう」と考えることでしょう。

僕も考えようとしたのですが、どうもうまくいかない。(いや、考えろよ!)

この一年間、今までで一番濃かったんじゃないかなぁ。

でも、濃すぎた分なぜだか素直な気持ちで見つめ返せないような瞬間も多いような。

そんな感覚なので、とりあえず最近考えてることでも書こうかなと思います。

 

最近、ボヘミアンラプソディーを観ました。

映画自体に関しては僕としてはまずまずだったのですが。。。

やっぱり、努力で困難を乗り越えていくことが自分にとっては共感できるのでしょう。

だけど、彼らの生き様はRockだなと感じさせられました。

 

自分たちが最高だという自信、チャンスを逃さない勢い、自分たちは何者かという哲学、挑戦し続けて周りの声に惑わされない覚悟。

彼らのように生きることが羨ましく思うからこそ、自分にとって共感できないところがあったのでしょう。

 

実は繊細な心を持ち、心に深い惑いを持ったフレディ。

もちろんそんな現実から逃げるように荒れる瞬間もありますが、彼は最後には立ち上がりそんな社会に対して中指を立て、僕らの前で声高らかに歌います。

 

そんな、悩みや迷いを抱えながらも逃げずに、果敢に現実に立ち向かう強い意思や勢い、振り返らないその姿こそRockだと心が揺らされました。

 

ちなみに、僕はONE OK ROCK の『69』のこんな歌詞も好きです。

"バンドって言うのは 時に激しく中指を立てたり

そして時にもう一本足して 世界の平和を願ったり"

そんな風に平和を願うからこそ現実に立ち向かう生き方の出来る、弱さや優しさとそれを現実にする強さを持った人になりたいなと思うばかりです。

 

さて、前置きが長くなりました。

今年、僕は何に中指を立てたのだろう。そしてもう一本の指を動かすことはできたのだろうか。

 

流れてく日々をただただ見つめていただけなんじゃないか。

出来ない自分を恐れず、意思ただ一つで目の前の現実に立ち向かうことはできたか。

何度失敗したって、やり直すことは出来たか。

年末に暗い気持ちになりたいわけじゃないけど、自問自答し続ける間もないほどに簡単に答えることが出来てしまう問いたち。

 

もちろん何もしなかったわけじゃない。

「やりきった」と言える瞬間もある。だけれど、それがこの現実の何を変えたんだろう。もう一本の指はまだ動かしたくない。

 

僕はもう一度中指を立てよう。

目の前の現実に、そして弱い自分に。

そして最後にもう一本を加えよう。笑顔でPeaceが出来るくらいに。

 

そんなことを思う日々ですが、たくさんの人に囲まれて有難い一年でした。

もらったものが多くて、返せなかったものが少なくて、消え入りたいことも多いですが、たった少し残せた何かが影響を与えていたり、自分の在り方から反面教師にしてもらえれば幸いだなと思います。

 

それでもこの悔しさは、かつてないほど大きな世界を夢見たからだと。

そんな世界を見せてくれた恩人たちと、仲間に感謝をしたいです。

一年間ありがとうございました!

強さと優しさのある自由な生き方への覚悟

お久しぶりです。ここ数ヶ月は忙しくて時間が無かったのですが、委員会での選挙という1区切りを終えたので記事を書こうと思いました。

今日は、固まってきた自分の人生観について書こうと思います。

主なトピックには

-自由

-強さ

-優しさ

-覚悟

などが挙げられます。

 

前提、選挙というもので「覚悟」が多く問われました。

もちろんそこに苦悩や葛藤をし、それでも自分なりの「確かな良さ」を見出して、決心する彼らには感動を覚えました。

 

けど、あんまり「覚悟」って具体的じゃないよね〜って思ってます。

それでも僕にとっての「覚悟の方法」ってのが分かったのでお伝えしたいなと思ったのがきっかけです。

覚悟=生き方 だなと思ったので、とりあえず自分の現状の生き方を棚卸ししようと思って記事にしました。

 

では、本題に入りましょう。生き方というところで、僕も善く生きたいと思っています。

「善く生きる」とは、強さと優しさを持って自由に生きることだと思います。

そしてそれを体現するには覚悟が必要だと思っています。ので、説明します。

 

◯自由

まず、自分は「自由」が大切です。自らに由って生きることですね。

こういった大切な気づきを得られたのも、自分が出馬した選挙でした。

一年が経つと考えると感慨深いです。

以下の記事にちょっとだけ書いたりしてますが、結論自ら由って生きることです。自分への愛や、考える力などが大事ですね。

kosukebond.hatenablog.com

 

◯強さ

強さですが、大事なポイントは2点かなと。

「Power」と「Intensity」かなと思います。言い換えれば能力と熱量。

本質はIntensityだと思っていて、その試行回数がPowerになると思っています。

また、Powerというのは目に見えるスキルや能力だけではないと考えていて、「雰囲気」みたいなものもそうだと思っています。

人間は非言語的なコミュニケーションを多く取るものだと思っていて、無意識レベルで人は試行して、自分のIntensityの向かう先、すなわち目標や夢を達成してくのだと思っています。

 

◯優しさ

優しさとは、自分にとっては「思い遣り」と言い換えることができます。

それに関しては一度記事にまとめました。

kosukebond.hatenablog.com

要するに、相手の立場に立って考えてみることと、その立場に立って見た時に相手が望んでそうなことを行動に移すことです。

小学生でも言われるような当たり前のことなのでしょうが、人と人とは分かり合えないものだなと感じますね。

 

その上で、僕が人のことを考えるときに大事にするフレームワークを紹介します。

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Mission…使命。その人が人生で何を成したいかや、どう在りたいか。

Motivation…価値観。その人の動機となる好き嫌い。

Position…立場。その人が与えられているタスクや、役職、役割など。

Tension…気分。腰痛いとか、お腹空いたとか、涼しいとか、些細なやつからそうでないやつまで。

 

こんな風に枠組みがあると思っていて、Missionはまだ見ぬ理想であり経験によって変わりえる不確実なものですが、Motivation以下は実際に起こったことや起こっていることであり確実性が高いです。

 

その上で、Motivationが最もブレない軸となります。しかしその分日常との振れ幅は小さく、行動の変化に対する影響度を見逃しがちです。

逆にPositonやTensionは外界からの変化が多く、その人の行動を変化させやすいです。本来なら取らないような行動にも(Motivationと比較すると)短期的な変化を起こします。

 

人間ってこんな感じなんじゃないかなと考えることによって、「その人が心から大切にしていること」「今囚われている観念や行動」を判別し、その人の在りたい姿であれるように振る舞うような思い遣りを持てたらすごく優しい人であると思います。

 

さて、このフレームワークには自分さえも当てはまるのです。

これは後ほど使います。

 

◯覚悟とは

では、覚悟について考えてみましょう。

 

覚悟は仏教の意味でいうと「迷いを去り、道理を得ること」だそうですが、みんなは「悪い事態に多大な努力をいるのを予測して、心の準備をすること」という意味でこの言葉を使いますね。

 

選挙の中でも「この人って覚悟できてるんかなぁ」なんてモヤモヤとともに彼らを見つめた人もいると思います。覚悟があるとはどのような状態でしょうか。

 

友達は「理想の明確さ」「現状の自分」「それらを埋める意気込み」だと言いました。実に真っ当だと思います。

 

その上で僕が感じているのが、「未来なんて不確実すぎる」ということです。

 

僕が所属した学生団体の不確実さを簡単に説明すると、

-(ざっくり言うと)世界平和という曖昧で壮大な問いに解を出そうとする

-上部構造(事務局と言います)からの意思決定が委員会を左右する

-初めての経営者、リーダーを右も左も分からないまま体験する

-学生団体であり、メンバーのキャリアも左右されるので行動が不確実

-しかも構成メンバーの半分程度はまだ見ぬ新入生

と、すっごい不確実だらけです。ここに対して「理想の明確さ」「現状の自分」を問うのは如何なものか。。。(もっと言えば、理想も現状もどちらかを措定しないと分析できないので、何も分からないとも言えます。)

 

だから、この場で問われるのは意気込みばかり。(になっているのはあくまで僕らの実力不足ですが。)

 

誰もが石を投じる中で、不確かな自分をと曖昧な理想を信じる意気込み。

とても儚く健気で美しい。

けど、そんな意気込み1月経てば忘れちゃう!(先輩の言っていた「セッションはレッドブル」っていい言葉やなと思います。意気込みもレッドブル。)

 

ので、結論ここでいう覚悟って当てにならないな〜ってのが思うことです。

では、こんな圧倒的な不確実に飛び込む時に大事な覚悟とはどのようなものでしょうか。

 

ざっくり言うと、「後悔しない今を生きること」です。

はっきり言って、未来がどうなるかなんて分かりません。今日近づいたかなんて、もっと先に進んだ時に未来が明確になって分かるのです。

分からないから仕方ないよね、適当にしよう。ではなくて、これからの未来を作るという気持ちが大事です。

 

感覚的に「あ、これは理想に向かってる」「あ、今サボってる」それくらいなら分かると思います。

だから未来に向けて後悔しないよう、今に向き合うこと。それが大事です。

 

ここで二つ重要な要素がありましたが、「未来は変えられる前提を持つこと」「今に向き合うこと」です。

まずはこの2つが基本姿勢だと思っています。

 

だけど、この姿勢を保てない瞬間があると思います。

つまり、「強い」自分で居られない瞬間です。

それが「諦め」「自信がない」ってやつです。それを打ち破る考え方をここで紹介します。

 

それは「自分に優しくあること」です。

自分のことを思い遣ってあげましょう。では自分ってどんな人間でしたかね。

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そうそう、こちらです。

 

あなたは、弱い人間です。

気分に惑わされちゃうし、立場によって左右されて誰かを傷つけたりもします。見つめてた未来は分からなくて戸惑う瞬間も、自分の手には掴めないように感じられる瞬間もあります。

 

だけど、大丈夫です。人間そんなものなので。

 

そんな弱いあなたを受け入れてください。

 

気分に惑わされる自分に気づいてください。

 

立場に影響を受ける自分に気づいてください。

 

本当の使命なんてまだ描けてないことに気づいてください。

 

そしてそれでもなお、価値観と使命に向け、今に向き合えば、前へ着実に進める強い自分を信じてください。未来は変えられます。

それが覚悟です。覚悟は未来じゃなくて、今とあなたの内側にあります。

まずは自分に強く優しくあってください。

 

意気込みより、日々の在り方のほうがやっぱり大事だなと思います。

誰かが、達人は力が抜けているというように言ってましたし。(僕が達人だなんてのは傲慢にせよ。笑)

 

こんな風に僕は日々を生きてゆきます。では。