Leaderと教養。~21世紀の教育について考えてみた~
自分は人を「自由」にしたいということを考えています。
そうなった時に、教育や教養とは自分の考えから切り離すことは難しいと思います。
そこで自分なりに21世紀型の教育、理論と実践、スペシャリストとゼネラリスト、教養とは何か などを考えてみたので、その思考をまとめようと思います。
これからの教育
21世紀型の教育とは、非連続的で、複合的で、創造的な教育であると言えるでしょう。
21世紀はかつてなほどに変化が早いです。人々は豊かになり、テクノロジーは進歩し、個人へのパワーシフトが起こっていてるために、生産性や、価値創出者の数、求められる価値の多様化と早熟化が進んでいるからです。
そこで人は、より深く人々を感動させるような価値や、今まで発見されたようなことのない価値を生み出さなければなりません。そして逆説的ですが、一つの価値を深化させようと思えば思うほど、多くの分野に触れなければいけません。
サッカーで例えてみましょう。
サッカーを本気でやりたいならいろいろなことを知らないといけません。人間の体、集団の性質、体を作るための食事、人間の機能性を最大限に高めるプロダクトデザイン、戦術論、経営組織としてのリソース拡大のための経済発展、経済発展のためのクリエイティブなプロモーション、開発を支えるテクノロジー…
このように一つのものの質を高めるために考えるべきこと、知るべきことはたくさんあります。
多くのことを知らなければ、一つのことを完成させることはできない。という風に言えるでしょう。逆に、感覚的に言えば「一つのものを追いかけていき、問いに答えようとすれば、多くのことをいつの間にか知っていることになる」という感じだと思います。
スペシャリストとゼネラリスト
これはスペシャリストとゼネラリストの考え方を一つ深化させたものなのではないでしょうか。
スペシャリストとは専門家です。一つの物事を専門的に深めている人です。
逆にゼネラリストは、全体的に物事を理解します。広く浅くというやつです。
じゃあさっきサッカーで例示したような人はどちらに属するのでしょうか?
結論、どちらでもないと思うのです。シンプルに名付ければ「スーパースペシャリスト」と言えるでしょう。(なんか厨二病感ありますが。w 「超専門家」、即ち専門家を超えているという意味ですね。スーパーゼネラリストと名付けなかったのは、問いの起点は「サッカー」のように一つに集約されているからです。)
かつては黒字のように直線的にわかりやすく問いを深めていくことが「専門性」でした。
しかし今述べたい専門的であるということは最も左上の「大きなイシュー」についてよく知っているということです。ここでは、黒字のような専門性が深いことが必ずしも重要ではありません。
例えばサッカーにおいては、植物学に詳しい必要はありません。しかし芝に関する知識と人間工学と物理学があれば、より選手の身体に優しくてかつサッカーの試合がより円滑になるようなフィールドを作ることができるかもしれません。
このように物事を広く知っていて、でもある特定のものを深く知っていて、それらを繋げることで一つの大きな問いに対して答えを出しているということがスーパースペシャリストであるのです。
これからの教育というものは、このようにスーパースペシャリストになるためのものであると思います。
自分の求めるものに問いを立て続け、その問いに答えるべく、多くのものを知り続ける力。それがこれからの世を生き抜くために必要です。
「問いを立てる」を分解する
さて、問いを立てるとはどういうことでしょうか。
問いを立てるとは、結論や根拠を疑うということだと考えます。
もっと単純化すれば論理を考えるということです。
問いを立てた時に考えることは 「物に対する問いか、事に対する問いか」によって変わります。
前者は「~の必要条件/構成要素は何か」で、後者は「~はなぜか」「~をどうすれば良いか」の2種類があると思ってます。
「問いを立てる」ことを考えるために、「問いに答える」ということを考えてみましょう。
問いに答えるとはある問いに結論を出すことです。結論には根拠が伴います。
根拠は事実と解釈から成り立っていると考えます。そして事実と事実をつなぎ合わせる事で結論をもたらす「解釈」こそが「論理」と言えるのではないかと思います。
(考えてみれば、ここでいう「根拠」は「論理構造」という言葉と 同じだと思います。)
さて、論理にはタテのつながりと、ヨコのつながりがあると思います。いわゆる「MECE」と「Why So?/So What?」です。
ここまでは「答え」の方の基本的な情報をさらいましたが、次に「問い」の方を考えます。
「もの」に対する問い
物に対する問いとは「定義をすること」であり、あるものをMECEにすることです。
「定義」という言葉はある物事を言葉によって他の物事と区別することです。
雑に考えれば、りんごの定義は「りんご以外のもの」とも言えますが、それに意味はあまりありません。
そこで、人は外の世界にあるものと、定義の対象の中身を要素によって区分します。(「外延」と「内包」で調べればわかりやすいです。)
だからあるものをMECEに切り分けたものを人は「定義できた」とするのです。
そして「なぜそれがMECEであるか」ということを説明するために論理として「Why So?」を使い、それが妥当であれば「~とは何か」に対する結論と根拠ができるわけです。
「こと」に対する問い
事に対する問いとは「分析をすること」だという風に定義します。(定義は一つの物事を明確にするための行われるが、分析は全体を細かく区分することなので、これからの思考を「定義」と「分析」という言葉で分けてやってくれればいいのではないか という提案です。笑)
分析では原因をMECEにすることによって、因果関係を明確にします。因果関係とは、ある出来事によって、ある出来事が起こされるという、時間的に接続された物事の関係性です。
ある一つの出来事(=結果)は、様々な原因から起こります。なのでこちらはピラミッド型に図解ができます。
結果が起きた原因としての出来事をMECEに把握することで、その出来事を必ず起こすことができるという事になります。これによって「~はなぜか」「~はどうすれば良いかを考えることが出来ます。」
ここまでで、問いと答えがどのような構造になっているかを説明しました。
「問いを立てること」は答えの構造となる結論や根拠を疑うことであり、再度答えるために「定義」や「分析」をすることだと言えます。
教養とは何か
ここまでで問いを立てることを説明しましたが、この問いを立てる力を強化してくれるものがあります。それが教養です。
教養は、リベラルアーツとも言いますね。「自由になる技術」です。
自由とは「自らによって」という成り立ちですから、自分の頭で考える力を教養はつけてくれるということが昔から示唆されています。
教養には大きく言えば3つの意味があると思います。
1つ目は、考え方を知れるということです。過去の人々が物事をどのように考えたのか、即ちどのような思考材料、あるいは価値観からどのような結論を導き出したのかを知ることが出来ます。歴史における社会制度や、過去の小説などからもこういったことが読み取れると思います。
2つ目は、知識を得られるということです。スーパースペシャリストの話にあったように、なるべく多くの物事を知っていることによって自分の思考材料にすることが出来ます。
3つ目は、考える練習になるということです。例えば絵画を見て「これは~なものだ」と自分なりに解釈します。その時に、あなたは何かしらの推論を行ったのです。そこにはなんらか事実から、結論を導き出した。
実際絵を見たところで事実は分からないことは分からなくても、そこに仮説を立てることは出来ます。それが考える練習になるのです。
だからこそスーパースペシャリスト、即ちこれからの世界を担うリーダーたちには教養が必要になるのです。
理論と実践
また教養を語る上で、自然科学や社会科学などありますが、理論と実践の役割はなんであるかということにも触れてみます。
これからの教育には 知識=理論だけでなく、身体性=実践 が重要だなんて言います。実際のところ、人が理論で何かを知っている状態は、それについて意識ができる程度であり、使用あるいは応用は出来ないのだと思います。(これも体感的にですが…)
人にとって重要な学びとは、結局のところ実践であると言えるでしょう。
では理論はどのような役割を担っているのでしょうか?ここにも3つの役割があると考えました。
1つ目は意識化。実践する際に着目する観点を先に提示すること。
2つ目は言語化。個人の中で、実践から得た暗黙知を形式知にすること。
3つ目は構造化。ある実践が、その分野全体における何であったかを把握すること。
実践前に効果があるのは意識化と構造化。実践後に効果があるのは言語化と構造化ということですね。
まとめ
ここまで、これからの社会に求められる人、これからの教育、問いを立てるということ、教養の意義、理論と実践 について考えてきました。
じゃあ、「どのような問いが良い問いなのか」と言われると…僕もわかりません。
というのも、考えてはみたのですが、結局人によりますよね。
僕にとっては「人を自由にするにはどうしたらいいか」がもっとも大きな問いになりますし、他の人にとっては違うものでしょう。
だから、あなたが追求する問いはあなたが見つけてください。あなたの価値観や、好きな物事から考えて見てください。それがLeadershipになるはずです。
僕も体系化ばかり頑張りましたが、実践しないとですね!!頑張らないとな〜