論理的思考と仮説思考

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今回はより良い仮説検証をするために、論理的思考と仮説思考について考えてみました。

よりシャープな仮説が数多くあるほど、そして検証方法が良いほど、より良い仮説検証をしたという事になります。

だから、その前提となる

・仮説思考とは何か

・論理的思考とは何か

について触れたいと思います。

 

仮説を立て、検証をしていくには推論を立てるための「行動的観察」と結論を確かめるための「実験的検証」を意識していくことが重要です。

仮説が無いなら動きましょう。仮説があるならシャープにしてから検証しましょう。

 

仮説思考とは何か

仮説思考とは、十分とは言えない情報量で結論を仮定し、その検証に必要な事実を収集することで真偽を判断する思考法です。

この思考法は情報を必要以上に集めすぎてしまうことや、無駄な情報を多く集めて結論がブレてしまうことなどを防ぐことができ、より早く実行をすることでスピード感を持って結果を出すことができる思考法です。

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このように、仮説には「結論」「推論」「事実」が存在します。

皆さんはこの、「推論」に関して着目することができていますか?

 

事実と結論を繋げる判断をする「推論」こそが仮説思考のキモになると僕は思うのです。

逆に言えば、推論がぼんやりすると、収集すべき事実が集めきれないことになりかねません。

 

さて仮説を構築するまでの過程に関して、観察と思考があると考えています。

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(以前のブログで細かく書いたので気になる人はどうぞ)

kosukebond.hatenablog.com

 

僕が感じている違和感はここにあります。

多くの人が「推論」が無いのに行動することを、「仮説検証する」と言っているような気がするのです。

それはまだ「観察」であり、推論を組み立てている段階だと僕は考えています。

あるアウトプットを生み出すための仮説検証にはなりえていません。

 

もしかしたらある程度の結論が出ていて、行動しているのかもしれません。

しかし、その場合はその推論のシャープさに課題があるのではないかと考えています。

 

一度記事にしましたが、物事を考えるときには「AとBは同じかそうでないか」という要素分解の考え方と「AとBに因果関係はあるか」というものに落ち着くと考えています。

この抽象↔︎具体の要素分解をどれだけ行えているかシャープさに影響します。

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論理がシャープではないということの一つの例は、「ビールは飲み物である」のように抽象化しすぎていて、ビールという「アルコール飲料」でもあり、「炭酸飲料」でもあり、「原料が麦であるもの」のような様々な性質を含んでいるにも関わらず1つのカテゴリーに入れてしまっているようなことです。

 

仮に、ビールは飲み物であるということが分かったとして、次に何が進むのでしょうか?

飲み物は喉が渇いたときに売れるから、ビールは夏に売れる という仮説は立てられますが、日本酒という飲み物と比較して「飲み物である」という性質から売れ筋に関する論理は組み立てにくいでしょう。

 

このようにより良い仮説検証を立てるには、自分たちの仮説を実証する上での必要条件としての「推論」をより明確に定めることが重要なのです。

そういうわけで、よりシャープな仮説を立てるために、論理的思考について学びましょう。

 

論理的思考とは

人によって考え方は様々ですが、推論の種類は3種類であると『武器としての決断思考』にあったので、それを参考にしていきたいと思います。

その3種類の論理とは以下です。

演繹法

帰納法

・因果関係

 

演繹法

演繹法とは、一般的/普遍的な前提から個別的な結論を出す考え方です。

有名な演繹法はこれでは無いでしょうか?(僕も教科書かなんかで見たような…)

①人間は死ぬ(普遍的な前提)

アリストテレスは人間である

アリストテレスは死ぬ

というものです。

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しかし、演繹法は誤った推論や、詭弁を産みやすく注意が必要です。

演繹法を誤用してしまうケースとしては、以下です。

①前提が間違っている(人を刃物で切ると犯罪になる…医者は?)

②前提の中の言葉の定義が曖昧である(派遣社員は貧乏だ…個人のコンサルタントや技術系の派遣社員は高給では?)

③必要条件・十分条件を履き違える(Aさんは教員免許を持っているので教師だ…教師は必ず教員免許を持っているが、教員免許を持ってる人が必ずしも教師になるわけでは無い)

帰納法

帰納法とは、いくつかの個別の事象から論理的な推論によって一般的・普遍的な法則を見つけることです。

猫のたまはネズミを追いかけるし、猫のジロもネズミを追いかけるし、猫の… と個別の事象が集まれば「猫はネズミを追いかける」という推論が成り立ちます。

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しかし、実際のところ帰納法は「絶対的な正しさ」を証明することはできません。

上の例では全ての猫を観察することなどできないからです。

 

帰納法で間違いが起こりやすいのは以下です。

①サンプルが少ない(僕も父もチョコが好きだから、ウチは代々チョコが好きだ)

②一般化のしすぎ(彼は、ウイスキーやビールを飲んで酔うので、飲み物を飲むと酔う)

③因果関係が逆(死刑を撤廃した州は、犯罪が起きにくい)

 

しかし、機能的な、経験則からしか法則が見出せないのは事実でしょうから、帰納的であることを邪険に扱う必要性はありませんよ。

因果関係

「Aが起こると、必ずBが起こる」という論理です。

夏になると、エアコンによって電気代が上がる というのは因果関係ですね。

 

これを間違える時も3つのパターンがあります。

①原因と結果が逆(人が集まると、火事が起きやすくなる)

②相関関係である(英語ができる人は、年収が高い。…頭がいい人が英語も仕事もできるだけかもしれない)

③特定の原因のみに着目する(新規PV数が増えると、売り上げが上がった…リピーター数や購買率なども売り上げに関係がある)

 

大事なのは実行と思考のバランス

さて、冒頭に大事なのは「行動的観察」と「実験的検証」と言いましたが、これは帰納法演繹法と考え方に似通っています。

(ちなみに勝手に名付けました。笑)

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「行動的観察」は、行動を起こすことで様々な情報を得ることです。ここから法則性や考察を得ます。

「実験的検証」とは、必要条件を満たすことで求めている結果が成されるのか という実証になります。そのため、検証すべき事実情報は明確になっている必要があります。

 

 

例えば、「顧客は化粧品に何を求めているのか」のように変数の多い問いにいきなり仮説を立てるのは難しいです。

しかし情報収集をしていけば、「顧客は実用性よりも持ち物としてのアクセサリー性を求めていた」という法則性を見いだすことなどができるでしょう。

これが「行動的観察」になります。

行動的観察は、帰納的な推論を行うことで物事の法則性に仮説を立てることができます。

 

そうなったときに、「顧客に売れるのはスタイリッシュなリップではないか」という仮説が立ちます。

そうすれば「リップは持ち運びされやすく、かつ人に見られやすく、形状も自由なのでアクセサリーが高い」という事実を集めればいいのです。

こっちが「実験的検証」ですね。

帰納的に立てた推論が、演繹的に考えるための推論となって、個別の結論を出すことができます。

 

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今あなたは「行動的観察」と「実験的検証」のどちらを意識的に行なっていますか?

状況に合わせて、無思考にも頭でっかちにもならず、仮説検証をしていきましょう!