失敗を恐れないで挑戦する方法を考えてみた

結構当たり前ですけど、物事ってやってみないと本当のことは分からないですよね。そんなことを最近感じています。

コーヒーメーカーとかもそうで、やってみると意外と面白いものです。

人間は変化を嫌う生き物だなんて風に言いますが、実際に変化を嫌うように出来ているのでしょうか。うーん、思うに①エネルギーロスが少ない方が望ましい②悪い結果の方が頭に残りやすい というところから腰が重くて行動できないことも多いのかなぁと思ったりしますが、脳に刺激があった方が人間は楽しくやっていけるみたいですね。

 

じゃあどんなマインドであれば失敗を恐れずに、どんどん行動をしていけるのでしょうか。この辺には僕の大好きな本である、脳科学者の茂木さんが執筆した『感動する脳』という本から引用していきましょう。

 

まず挑戦するために必要なのは安心感だという風にあります。(正確にはこの本では無い別の本からの引用ですが…)子供が親に愛されていて、親の元に帰れば安心できることが分かっているからこそ子供は冒険ができるのです。

このような安心感が自分の脳にあるとどうでしょうか、上手くいきそうですね。脳には可塑性があるために、ネガティブな情報ばかり受けていればネガティブな頭に、ポジティブな情報を多く受けていればポジティブな脳になるのです。

これがいわゆる成功体験を多く得る重要性であるでしょう。成功体験を多く得るためにも工夫があります。それは目標を小さく砕くことです。そしてそれをワザとらしく喜んでもいいでしょう。(なんだか大げさに喜んでみた方が自分の中に達成感が残るような気がします。)

 

そうして挑戦ができるようになってきたら、驚きを得るような経験、つまり感動するような経験をたくさん得た方がいい。人間の脳は情報を得ても、自分が好むようなことや興味があるようなものに関するものをより多く保存する。(読書が必要性に駆られてする方が良いっていうのはこういうところからだろう。)

感動するってことはある種自分が興味を感じる分野を増やすことだと思う。それくらいインパクトが大きくて目をそらすことができないようなことをより増やしていくことが結果的には創造性に繋がっていく。

そんな風にある物事のために主体的になっていくためにはやはり体験が重要であると思う。聞くよりもやってみるという方が実際には早いものが多い。どうしてそうなるかでいうと、結局できていることと、できていないことがハッキリと分かれるからじゃ無いかなと思う。そしてできないことが分かるということはそれを改善するために頭をひねり、手を動かすことが出来るからだと思う。しかしそのように改善出来るような失敗だからこそ人は恐れずに改善をしていけるのだ。そう考えれば人には失敗を恐れるときの条件があるのでは無いかと思う。

 

人間が失敗を恐れるときって結局どういう場面なんだろうか。

自分が思うに、効率性や確実性を求めるようになってしまうと失敗を恐れてしまうのでは無いかと思う。そして失敗を恐れない方が効率は良いものだということに僕らは本能的には気づいていないのかもしれない。

他には自分は失敗されてバカにされることを恐れているなと思う。これが恥の文化なのだろうか。出来事があまりに大きすぎてやり方が分からないこともある。(これは失敗を恐れることだとは思うが感覚的に抱えている想いは違うと思うけど。)
そう考えると、「自分は最後には必ず成功は出来ると思うけど失敗を繰り返して成功に近づいた方が早い」というマインドや、「自分が失敗をしたところで誰も損をしない。失敗を笑うやつは行動すらしない無能だ」みたいな考え方をしないといけないみたい。

 

もしかしたら失敗をすることは人間にとって命を落としうることだったから強く印象に残るというのに加えて、人間はコミュニティで生活しているから周りの人に見限られては生存できない、なんて考え方もあるのではないかなんて思ったりはする。

失敗を賞賛する風土があれば良いだなんてよくいうけれど、それは「失敗していこうぜ!」みたいなイケイケな感じでは無いんだろうなと思った。失敗しても「お前はよくやった、誇らしいよ。」「お前は失敗を恐れなくてすごい奴だな。」みたいな、失敗をすればするほど仲が深まっていくような感じの風土なんじゃ無いかなーと思った。