「人間」ってなんだろう

最近自分の所属している団体の、前年度の最終報告、最終の総会の機会を迎えました。今では自分が1事業のリーダーで、副代表へと完全になった訳ですね。少し背筋を伸ばさないとなって思いますね。

 

さて、総会において卒団される先輩方や同期たちがこの団体での最後の話す機会だということで、この団体への愛やこの団体で得た学びなどを語ってくれました。その中で何人かの先輩は「人間にしてもらった」という表現を使いました。先輩方がどんな意味で使っているかは分かりませんでしたが、すごく納得できる表現だったなと思います。

 

「人間」というのは人と人の間という字です。ヒトは他者と触れてこそ自分のことを把握することができ、そしてまた他者の影響を受けながら自分のことを作り上げて行きます。そのように他者比較や、他者からの影響もそうですが、人間にしてもらうためにはもう一つ大事なものがあると思います。

 

それこそが「承認」もしくは「応援」だと思います。ある人にとっては「愛情」に見えるかもしれませんね。自分という存在が何か意志を外の世界に対して働きかけた時に、応援もしくは承認してもらうことでその意志に対して自信を持ちます。そうやって自分なりの信念を人は作り上げていくのだと思います。

 

研究結果として「リーダーシップはフォロワーと相互に依存する」という風にありますが、自分がまさにそれを体感しました。自信がないままにリーダーという役割を全うさせてもらいましたが、メンバーから信頼を置いてもらったり、承認してもらうことによって自分に勇気や自信が湧き一歩前に進むことができました。

そうやって前に進むことがメンバーを勇気づけ、メンバーが前に進むと共に自分を認めてくれました。これがリーダーシップの発展の一つの在り方でしょう。

 

構図はリーダーであっても、一人の人間であっても同じでしょう。というよりもリーダーこそがまさしく1個人のあるべき姿であるなと僕は感じます。リーダーシップは一人の人間の強い意志であって、スキルなどは小手先であると感じます(もちろんスキルは必要にはなりますけどね…)一人一人の人間がそれくらい意思を持ち、自信を持って進んでいくような世の中の方が望ましいなぁと感じます。

 

さて、もう一つは「人が信頼できない」という風に発する人たちも何人かいました。そんな人たちもこの団体での関わりを持ったことで「人の温かみを知った」という風に言ってました。

からしたらこの人たちの「人が信頼できない」というのは結構想像以上でした。これだけ大事な仲間だから何を言っても僕らは怒らないと思うし、必死で頑張ってきた姿を知っているからこそどんなことを言われても大丈夫だという風に思うのですが、「下手なことを言えば怒られると思った」と言っていました。

数年間だけでは彼らにとって動いた心は少しだったのかもしれません。だけど隣に誰かがいることで今まで動いてこなかった心が動いたのです。そんな風に人間同士の暖かい関係性の重要さや、そんな関係を作る難しさを感じました。

 

さて、総会はこのような場だったのでした。この世の中には課題が山積みなような気がします、なんだか閉塞感を感じます、これから何が起こるか分からないような感じがします。

だけど人が幸せになるためには、側に誰かがいてくれて「僕は君のことをずっと見てるよ、君のやりたいことは素晴らしい、大丈夫だよ君ならできる、君のことを大切に思っているよ」とそう伝えてくれる誰かがいることが大事で、意外とシンプルなんじゃないかなって思いました。

 

人間という考え方は日本人らしいなぁと思う反面、人と人の間に距離があることが問題なんじゃないかなぁとも思います。近くに自分のことを大事にしてくれる誰かがいるだけでもっとみんな幸せになれそうだし、前向きになれそう。

伝える側よりも、聞く側が重視されるようなコミュニケーションの文化を持つ日本だからこそかなぁなんてことは思いますが、もっと愛が伝わるようになればいいなと思いますね。

 

しかし最近の僕の悩みは愛とはなんだろうということなんですよね。また記事にします。ぐちゃぐちゃな文章ですが、ここまで読んでもらってありがとうございました!