挑戦と成長。理解するとは何か。
最近徐々に忙しくなってきたので、なかなか体系だって物事を考えられていないこすけです。
まぁでも自分の活動としては、新入生が入ってくる際に、自分たちの活動の疑似体験が出来るようで、かつ学びがなるべく多くなるようなワークを考えています。
結局人は体験から多くを学び、体験に伴って理論を学ぶのだと思っています。
理論ではないですが、「自由」「成長」とは何か というマインドや哲学のようなものを考えて他者に与える役割を新入生に課すことで、新入生に深く「自由」「成長」を感じてもらうようなワークを作りました。もし成功できたら非常に嬉しく思う次第です。
さて、話を本題に近づけます。
誰にでもあると思うのですが、僕は感覚も大事にするタイプです。(結構意外に思われたり、そんな印象は無いみたいですが)
意味あること、好きなことしかしたく無いです。(もちろん人に比べれば、必要だからする行動に対してそこまで嫌悪感は抱かないですけど。)
そもそも必要性に駆られないとなかなかやらないってことはあります。
そして僕の周りの人と多少違うなと感じるのは、「自分自身で思い込む」ということを物事に対してはしないということです。(一般の人で、自分のやっていることを楽しむために思い込む人の方が少ないとは思いますが…)
僕は昔、心理学が嫌いでした。人間がそうも簡単に分析されていいものかと。人間の感情というのはもっと複雑で、科学的な何かが入り込まないものだと自分は信じたかったのです。
そしてまた、僕は恋愛において意図的な思い込みはしません。自然に思える気持ちこそが愛や恋だと僕は思うからです。
もちろん、自分がリーダーという役職をするにおいて、義務を果たすことの妨げになる場合は意図的にすり込みます。「俺はこのメンバーの可能性を信じなければならない」みたいな。
でも別に恋愛は、相手を悲しませようと、自分が悲しもうと、2人の勝手だと思います。(もちろん、関係性を続けたければそれ相応の努力が必要ですが。恋愛から人間関係について学べることは多いなぁと思ったり。)
だから自分は、相手が悲しむから無理に好きでいようとか、そんなことは思いません。
好きになれないときは、そのときです。
そんな風に自分の感情を無理に曲げて、何かを正当化することを自分は好きではありません。
なので、自分はやりたく無いことは相手にどれだけオススメされてもやらないタイプでした。
しかし、先日ある人と話した時に、重要なことを伝えられました。
「理解できる、ってことは自分の今までの経験から形成されている世界の中で捉えられる情報をインプットして解釈したってことだよね」(こんな難しい言い回しでは無かったですが、文脈を伝えるために)
そしてまた、僕らの所属している学生団体の多くの人は、「理解しないと行動しない」ということおっしゃっていました。
確かにそうだなと思いました。
理解できるということは、今までの自分の世界から飛び出したことにはならず、理解できないことに飛び込まなければ、飛躍的な成長はできないということです。
本当の知とは、体験なのでは無いかということがさらに深まった日でした。
もちろん「理解できない」が相手の論理は把握した上で、自分がそれを否定する論理を持っている だった場合は飛び込むことが必ずしも良いとは思いませんが。
(例を出せば、1+1=1と答えた人が、コップの中の水を足し合わせていたとしたら、コップの個数としては1となるが水の量としては2となることを理解していた場合は、それに挑戦する必要性はないかもしれないということです。)
しかし、自分の本当に知らないことや理解できないことには飛び込んでみないと自分の世界は広がらないというのは、本当にそうで、でも実践できている人の少ない学びだと思いました。
自分のこの日に対する感想なのですが、理性という言葉がありますよね。物事の理を考える能力です。
僕らはよく、「理解」即ち「理を解いた」という風に言います。しかし実際のところは「理を解釈した」ということなのでは無いかなと思いました。
「理解」は自分の経験から導き出せる物事の中でしか起こらないとするなら、理解とは体験であり、そしてまたその体験にすら人の主観が入るために、「理を解釈した」ということにしかなり得ません。
真理への到達の難しさを感じたり、自分や人間のちっぽけさを感じたりしました。
まとめ
さて、最後に伝えたいことなのですが、
「理解」したということは、「それは自分で考えられる範疇の物事だった」とすると、理解できないことに飛び込まなければ自分の世界は広がりません。
だから「自分の好きなこと を大事にする」ということは、「自分の知っている世界の中でしか生きていない」ということと同義なのだと思いました。
いろんな世界に飛び込みましょう。経験こそが知なり。(こういうの書いてたらカントに行き着いたので、カント読もうと思います。)