思い遣りについて~人の気持ちが分からないあなたに~

今日は共感性とか、寛容さとか、思い遣りについて考えたいと思います。

 

僕って結構心が狭い人間だなって思います。

こんな自分を変えたいな なんて思ったりしますが、心が広い人間にそう簡単になれるものでしょうか??

 

僕は違うのではないかなと思います。

特に日本にいると 、常識に塗り固められて、他人に批判されやすくて。

(インドに行った友達なんかは寛容というか、自分と異なるものを見ても悪い気持ちを抱かなくなったなんて言ってましたが。)

 

というのも、寛容さとは自分と違うものをどれだけ受け入れることができるかということだと思います。

受け入れる ということは受動的なもので、自分が出来る行動が無くなってしまいます。

行動によって何かを変えることができないだから、自分にとってもストレスの無い寛容さには余裕が必要です。

 

でも思い遣りは変えていけるのではないかなと思います。

というのも、思い遣りには主体性があるからです。相手の気持ちを意識的に想像して、自分にできることをやってみる。

それが思い遣りだと思います。

 

例えば、僕はカンボジアで障害児支援をされている方に思い遣りを感じました。

僕にとっては見知らぬ他人の命。どうでも良い。

だけど、その人にとっては、「もし自分が近くに優れた病院もなく、近所の人々からも隠しながら我が子を育てて、その子が病気で死んでしまったら」と考えます。

 

さすがにそこまで想像すれば、僕だってその重大さが分かります。

多分その人は瞬発的にそう感じるのでしょう。それが共感性だと思います。

その人に比べれば、僕の共感性は低いものです。(というか、僕は一般的な人々よりも低いです)

 

でも共感性は磨けます。

自分が数々の経験をすること。感情を振り返る習慣を身につけること。

そして拙くても思い遣りを示してみること。いわゆる感情移入というやつです。それを意識的に、自分からやってみるのです。アニメや漫画なんかはそうやって楽しむものでしょう?

(そんな楽しみ方もここ最近で知った。ストーリーの面白さだけでしか作品を楽しんでなかったんだなぁ)

 

そうやって、自分の経験を肥やし、他者への思い遣りの速度と精度を高めていく。

それがどんどん無意識になっていく。

 

そうすれば、他人の気持ちを想像することが容易くなり、自分にとって御し易くなる。

そうなってきたときにやっと余裕が生まれ、寛容さが身についていくのではないでしょうか。

 

note.mu

この記事を読んでも「愛って自然に生まれるものじゃなくて、思い遣りから生まれてくものなんだろうな 」って感じさせられます。

 

ちゃんと大事な人を愛せるような自分に変わっていきたい。思い遣り高めてこう。