挫折と課題と失敗と学び

挫折って何?って聞かれて困る人多いと思います。これ、面接とかではよく聞かれるし、その人がどんな人間か分かりやすい質問だなぁと思います。

 

しかし僕は挫折とは、「自分が主体的に物事に取り組んだときに生じた課題に対してどのような感情を自分は感じ、その課題をどうやって解決して、そこからどんな学びを得たのか」ということを聞かれているのではないかな、と思うのです。

特に、自分が起こしたアクション、課題、感情は外せないと思います。

 

僕が思うのは挫折って結局主観なのかよってことです。人に起こったいわゆる挫折経験は、克服できたものであると思ってて、自分にとっては解決することができた課題でしかないのですから。

だからこそ、その課題に対して自分がどのように悩まされたのかが挫折を語る上で、相手が聞きたかったことになるのかなと思います。

 

もちろん挫折経験と言えるほど、主観的にも大きな経験をしているという自信を持った人材はかっこいいと思いますし、挫折経験だと明確に認識できるのはそこに自分の意思や真剣さがあったからなのでは無いかなと思います。

 

それでも裏を書けば、「目標達成に対して、生じた課題に、どう悩まされたか」が挫折経験でそれを乗り越えたと言うことが、「課題をどのように考えて解決し、それを通じてどのような成長を経たか」と言うことなのだと思いました。

 

そんなことを考えて僕の春の活動を考えましたが、やらなかったことや、やってみたけど裏目に出たことなどがたくさん上がりました。

多くの失敗だらけです。しかしそこで僕は落ち込みませんでした。「行動に起こせば解決できる課題がたくさん見つかった状態でしかない」と。

 

失敗だって結局課題が発見されるだけのことなんだなってことが、この時初めて腹落ちしました。後悔の念は、自分の思いを強めるためには意味を持ちますが、行動しない、自分のテンションを低くするためだけに後悔するのは無駄です。

 

挫折だって課題に対して感情が発生しただけで、世の中で成功するには割とシンプルだなと思いました。結局は目標に対して解決すべき課題と、それに向き合うための気持ちだけなのかなと。

 

人間なのでそんなにバッサリと「失敗=課題」という風に考えることは難しいですが、目の前に課題があって解決するだけの単純な構造があるのに、それ以外の些細なことを気にしてしまっているのが多くの人たちなんだろうなと思います。(僕もましにはなってきていますが、その一人です。)

 

ビジネスは課題解決だって言いますし、戦略の構築だって問題解決だと思います。

(なんだか機械的だと思われそうだなって思ったので書くと、個人的には問題解決=論理的だ ということはないなと思っていて、解決策や目標設定には大胆な仮説やアイデアが必要になります。もちろん感情派ではないのですが、感覚は大事にします。)

 

感情的なモヤモヤはなるべく排除しつつ、行動して、体感して、それを振り返ってまた考える。そんな風にシンプルに活動して行く強いリーダーになりたいなと思いました。

 

今回自分がダメだったと思う点は振り返りの頻度です。何度も振り返れば発見できたはずの課題も、時間が経ってから気付かされました。

あとは最近は、他人に伝えられて観点の幅が広がったからこそ認識できた課題感というのもあるなと思っています。自分が聡明だったら気づけていたのでしょうか…?

 

うーん。多分ですけど、思考時間ではなく思考回数が少ない=振り返りが無いのが一つの課題で、もう一つは現場に降りて無かったり、もっと頭を具体の課題感に使わないから見えてないところがたくさんあるというのがもう一つの課題でしょう。

 

自分は役割意識が比較的強いなぁ、視座の転換が自由に出来るリーダーを目指さないとな。

そんなことをこの春学びました。