なんか知らんけどモヤモヤしまくってる
記事書こうって何回も思ってたのに、気づけば2週間経ってた。
忙しかった週も、充実してた週もやってるアクションはほとんど一緒なのに心の感じ方は違うなぁ。
落ち込んだ時にはひたすら落ち込みつつ、ちょっと客観視してこういった感情や幸福度の揺らぎを感じるのが人生の醍醐味なんかなと思ったり、シンプルに絶望したり。
心の感じ方を、より楽しく、より深みのあるものへとアップデートしていきたいなと思う最近です。
頑張るとか、仕組みにするとか、一定期間は楽しいんだけど、感情が爆発して耐えられなくなった時にやめてしまうんだよな。
これどうにかして対処できないかなぁ って悩んでるので、もしいい方法あったらTwitterででも教えてくださいな。
さて、こんな風に最近色々悩んでるのですが、一旦コミットしまくってたインターンをStopしました。
お金の問題は若干抱えていますが、リスクヘッジとして日々の諸費用を逆算に基づいて家計簿を作ることに。その結果最近は一日175円の食費で過ごそうと頑張ったりしておりました。
自分でルールを守るって、自分の中では気持ちいい。制限こそ自由だという逆説を感じる。(逆説って言葉あんまり知らんけど使っちゃった)
だけど他者と相対化させると急に不自由になる。見なくてもいいものまで見れるようになりすぎたこの社会は本当に不幸なのか。自分らしさを見失ってないか。そんなことを問いたくなる。
さて、今日はそんな自分を見失った僕の話です。
僕にとって「自由」という言葉は重要なものでした。大学生にもなって、「自由」という概念の良さについて分かり始めました。
意思をを持つというのはこういうことかと。自由には責任が伴うとは最もだと。
そんなこんなで自由という概念を誰にでも届けられる人でありたいと考えていましたが、最近は自分の中で言葉ばかり多用しているところがありました。
そうなってくるといつしか言葉は色合いを失った。
僕は自由という言葉に囚われて不自由さを感じていた。伝えたいことが伝わらない。というか伝えたいことが本当はないような感覚。
曖昧な言葉は便利だなと。ヒットソング聴きながら。(頼りないトゥバサでも)
そんな自分に、すでに引退した先輩や外部の人と話していくうちに気づきました。
最近は自分が大事にしたいなと思える概念は「アーティスト」です。
しかしこれも言葉がしっくり来ない。いわゆる自分に軸があって、それを体現している人たち。
自分は表現された作品自体よりも、そんな生き様に胸が打たれます。
だからプロフェッショナルとかの方が感覚的には近い、けど大事にしたいのは、その生き方在り方で人の心を動かすこと。
その人の成果物も大事なんだけど、そのプロセスを大事にしたい。
っていう気持ちが最近は強くなってきました。
ここ最近、ビジョンを持ってすごいコミュニティを作っているような起業家に会うことが多かったので、機会は提示されているけど、自分がどこに踏み出すかを迷ってしまっています。
やっぱり人それぞれ成功の仕方がある。
だけど自分には何が自分に合うかも知らないし、まず例を知らなさすぎる。
急に自分のやりたいことややるべきことが見えなくなって、だけど時間とお金は刻々と無くなっていく。
そんな時間に焦りを感じてしまっていました。
このモヤモヤはきっと悪いものではない。何か新しく目指したいものを形作るための大事な時間なんだなと感じます。
だけどそれに甘んじていてはいけないなと、先輩から色々言ってもらって考えを整理しました。
多分何にもまだ解決してないんだけど、きっとそんなもの。すぐ答えなんか出ない。
じっくり発信して、磨いて、そうやって今の自分にしっくり合う世界観を作っていけたら良いかなって思います。
途中までお酒のせいで変なテンションで書いたけど、ここで筆を休めようかなと。
明日もっと時間があれば自分の世界観についてもっと深めたものを書きたいな。